トップへ戻る
「小説レビュー」インデックスへ戻る
東京セブンローズ

著者
井上ひさし

 新刊でありながら、全編が文語体で著されている異色作。そして、終戦前後の東京・根津に住む団扇職人、山村信介が日々つけていた日記という体裁をとり、当時の東京の様子を実にリアルに活写した傑作でもある。

 日記は、東京大空襲の直後から始まる。大空襲、悪化する戦況、そして終戦。その日の暮らしにも事欠くような困窮した生活の中、しかし信介のユーモアあふれる筆致によって、暗くなることなく、むしろ笑いあり、涙ありのあっけらかんとした調子で日記が綴られていく。
 読み始めのうちこそ、慣れない文語体と旧字体に苦労するが、なんだかんだ言っても日本語なので、すぐに慣れる。そして慣れてくると、その文語体によってむしろ信介のユーモア溢れる文章が生き生きと、読者の脳裏に飛び込んでくるようになる。見慣れない単語や漢字によって、逆に想像力を刺激されるところがあるように思う。
 また、後半の主なテーマとなる「日本語とは?」という問いに対しても、むしろこの文語調だからこその日本語の表現力・美しさが際立ち、説得力を持つように感じられた。

 先にも少し触れたが、実に詳細に描かれた戦中戦後の東京生活も非常に興味深い。B29の爆撃、空襲警報、特高警察による取締り。軍国主義。その息詰まるような環境の中でも、それを当然のものとして受け入れる人々。
 そして、戦後、180度転換した価値観をあっさり受け入れ、あるいは戦前の思想を引きずりながらも、今日を生きるために東奔西走する人々。
 その心理や環境が実にこと細かく、かつ的確に表現され、たった50年前のこととは言え、今の日本とのあまりの相違に圧倒されるばかりだ。

 ただ、終盤の「東京セブンローズ」のくだりは、ちょっと劇かかってるように感じられ、作品全体から見ると、やや浮いてしまっていたようも思える。しかし、それとても、「こういうこともあったかも」と思わせるような周到な運びをしているし、この作品の持つ価値を減じるほどのものではないだろう。

 これは日本の一つの時代の記録として、100年先へも読み継がれてしかるべき作品ではないか、そんな思いすら浮かんでくる。いわゆる名著なんだろう。