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斎藤家の核弾頭

著者
篠田節子

 タイトル買い。しかし、読んでみた感想は、タイトルのインパクトに中身がついていってないのでは?というのが正直なところ。

 話は、近未来。極度の管理社会となった日本の首都・東京で、唯一木造二階建て暮らしを続ける「斎藤家」に襲い掛かる様々な災難を描いている。
 こういう舞台設定は、コメディ系SFには結構ありがちだと思う。ただ、一つその辺のものと違う点があるとすれば、その管理社会に「戦前的道徳主義」を取り入れているところ。男は家長として男らしく国に尽くし、女は子を産み家を守る。これが国家の基本理念となっており、斎藤家の家長・総一郎は愚鈍なまでにこれに忠実。逆に妻の美和子が、やや疑問を感じている、というのが話の基本路線。そして、この斎藤家夫婦の意識のギャップがコメディっぽく演出されている。
 ただ、斎藤家を取り巻く状況ってのが、案外シリアスで、素直に笑えないんだよなぁ。人も簡単に死んでいくし。

 コメディとシリアスの描きわけがもっとしっかりと出来てれば、もっと面白い作品になったんじゃないか、という気はする。その結果、作品がコメディかシリアス、どちらかに一辺倒になったとしても、読者としては納得は出来たんじゃないか。
 この描き分けが上手く出来ていないと感じたのは、まさにラストの展開。一方で、コミュニティホールに立て篭もる人達を大量殺戮しておきながら、他方では愚にもつかない核弾頭のオチ。これは、読んでて何ともいえない居心地の悪さを感じた。

 それは斎藤家の家族の扱いにも言えることだったかな。
 シリアスに徹するなら、斎藤家の長男・敬をもっとメインに据えても良かったはず。実際には妻の美和子の視点でばかり描かれているため、総一郎の奮闘がどこか焦点のずれたもの、としか描かれていないので、まるで一方的な糾弾を聞いているような気分になってくる。しかし、これに総一郎の第一の信奉者である敬の視点が入れば、読者もより中立的な立場で見られたろうし、そうすることで作品の幅も広がったのではないか。
 そして、コメディに徹するなら、小夜子の扱いをもうちょっと捻ったほうが良かったろう。少なくとも少女以上に成長してしまった小夜子は、ギャグにはならないし。体のでかい幼児、という辺りで止めておけば、ドタバタのタネは尽きなかったろうしね。

 ま、そんなこんなで、ちょっと読んだあと、すっきりしない気分が残る小説でした。一応ハッピーエンドではあるんだけどね。